Dark blueの絵日記

ハロプロ関連の記事が主。後は将棋と猫を少々

「敵に塩を送る」

オーストラリアから女子大に留学して来てるミカがなつみに
質問してきた。


「安倍さん、私は日本の戦国時代の武将を研究していますが
今、上杉謙信のことを勉強しているのだけど、
とても理解出来ない事があるのですが、教えてくださ〜い」


「えぇ〜私は社会とか日本史とか苦手なんだけど、私でわかることなら」


上杉謙信は、何度も川中島で戦った敵の武田信玄に塩を
送ったそうですが、これがわかりませ〜ん。  
敵に塩を送って、もし、敵が元気になって攻め込んできて、
味方が負けてしまったら、どう、言い訳するのですか?    
私にはとても理解出来ませ〜ん」  


「そんなこと、私に聞かれても困るんだべさ・・・」



永禄十年(1567年) 甲斐の武田信玄は、甲斐相模駿河
三国同盟を破って、駿河に侵攻した。
駿河今川氏真は、謙信に救援を求めると同時に相模の
北条氏康と図り、三国同盟を破った報復措置として
甲斐へ塩を送ることを全面的に禁止した。 
これは『塩留め』という経済封鎖だった。
これによって甲斐の領民の困窮は計り知れないものがあった。


越後の上杉謙信の居城、春日山城


謙信は甲斐へ探索に向かわせた、くノ一の茶々の報告を受けた。 
塩を止められた甲斐の領民は困り果てているとのことだった。
甲斐は海が無い国。これまでは塩を生産している駿河や相模に
主に塩の補給を頼っていたのだ。
それ以外に、越後からもわずかに塩の交易を行っていた。


すると家臣の1人が、塩を止められて弱っている今こそ、
宿敵武田信玄を打ち破る絶好の機会だと進言した。


今川の救援要請もあり謙信は考え込んだ。


すると、謙信の遠縁の有紀御前の娘で、妻や子がいない謙信が
養女に迎えた亜弥弥姫が、謙信の前に進み出て言った。


「父上様お願いします、甲斐の領民には何の罪もありませぬ。
どうか、越後の塩を甲斐へ送ってやってくださいませ。
父上様は何よりも信義を貫いて来たではありませぬか・・・」


亜弥弥姫の言葉に、謙信は立ち上がった。


「信玄と争うところは戦争であって、
米や塩を止めることではない」


と、以前と同様に甲斐に塩を送るように蔵田五郎左衛門に
命じた。
これを伝え聞いた甲斐の領民は謙信に対して深く恩義を感じ、
感謝したと伝えられている。


「というわけなの、よくわかったでしょ」
と、なつみの友達で日本史に詳しく、また新潟出身の
麻琴がミカに言った。


それでも、ミカは納得しない。
「敵に塩を送って、何の得があるのですか?」
「その・・・だから、塩を送られた甲斐の領民は
謙信の行為を『徳』としたのよ」
「得と徳・・・、わかりませ〜ん」


すると、なつみが、
「ほら、ギブ何とかって言うでしょ」
「オ〜、ギブ・アンド・テークですか。でも、塩を送ることに
よって、謙信は何を得たのですか」
「だから、徳を得たのよ・・・」
と、麻琴。
「わかりませ〜ん」
と、なおもミカは納得しない。

とうとう、なつみが怒り出した。


「もう、そんなことはわからなくていいの〜!!
ようするに、塩はなくてはならない、大事な物なの!!
塩がないと人は生きて行けないの!わかったっ!!」


「・・・・わかりました」


ミカは渋々納得した。


      
      終り






「信玄と争うところは戦争であって、
米や塩を止めることではない」


と言って謙信は甲斐に塩を送ったと史実に残っています。
つまり、謙信は軍勢で争うのが戦争であって、米や塩を止めるのは
戦争とは別の物だと言っているのです。


でも、米や塩を止める事こそ本当の戦争だと思うのですが。
この辺が信長と違って謙信の甘い所なのでしょうか。
しかし、これこそが生涯に渡って信義を貫いてきた謙信の最大の
魅力なのかもしれません。